こんにちは。たましょちょうです。
人間誰でも
「自由になりたい!!!」
そう叫びたくなる時ってありますよね?
たくさんの人の「わかるー!」と言う心の叫びが聞こえてきます。
そこで突然ですが質問です。
Q : 「自由」ってなんですか?
・
・
・
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どうでしょう?
パッと答えられましたか?
なかなかパッとは答えられないですよね?
パッと答えることができなかった人は今の段階で「自由」にはなれません。
なぜなら
イメージできないものにはなれないし、作ることもできない。
それがこの星のルールだからです。
おわり。
と言うわけにもいかないので
まずは
あなたの「自由」を奪うものの正体
続いて
「自由」になるための唯一の方法
について解説します。
あなたの「自由」を奪うものの正体
冒頭の質問
Q:「自由」ってなんですか?
と聞かれてパッと答えが出てくる人はほとんどいません。
なぜなら「自由になりたい!!!」と叫びたくなる時、ほとんどの場合
「◯◯から自由になりたい」という、あなたの自由を奪う「誰か」や「何か」がいますよね?
「こ〜の支配からの卒業」(尾崎豊)←わからない人ごめんなさい。
だと、学校の「校則」や「ルール」と言うことになるでしょうか。
なので、漠然と「自由」ってなんですか?と聞かれてもその「誰か」が想定されていないと、なかなかイメージしにくい。
なので、違うアプローチをしてみることにしました。
これならどうでしょう?
Q:あなたにとって自由の反対って何ですか?
注:この質問をしたときによくある答えで「不自由」と言う人がいますが、自由とは何かを考えているのに「不」つまり「◯◯ではないもの」と言う「不」をつけただけの言葉を出しても、〇〇がわからないのでこれもイメージができないので却下とします。
どうでしょう?どんな言葉が出てきましたか?
この質問を人にして出てくるのが
「拘束」とか「束縛」です。
要するに何者かによって制限されることを自由の反対として思う人がほとんどです。
僕も最初にこの質問を自分にしたときに出てきた答えが「拘束」「束縛」「不自由」でした。
「不自由」は(注)に書いてあるように実態がないため考えるのをやめました。
そして「拘束」「束縛」についてイメージしてみました。
暗い牢屋に入れられ、どこかに縛りつけられて目を塞がれた状態
を妄想してみました。
ところがどんなにリアルに妄想してもその状況の中で僕は「自由」だったのです。
生きていて意識があれば、いろんなことを想像したり頭の中で歌を歌ったりできる。
「明日何を食べようかなー」と考えることもできました。
頭の中でどこにでも旅に行けるし、ハッピーでいられる。
実は「拘束」や「束縛」されているだけならば
ぜんぜん自由なんです。
しかし、この牢屋に拘束された妄想の中で僕の「自由」を奪われる出来事が起きます。
「あれ?ご飯食べさせてくれないのかな?」
「あれ?いつこの縄解いてくれるのかな?」
「これって今日だけの話じゃないの?」
「もしかして、このまま死ぬのか?」
こう考え始めたときに、僕はハッピーな思考が停止して「自由」を奪われはじめ
ハッピーな思考ができなくなっていき、妄想の中で妄想の旅に出ることもできなくなりました。
僕の「自由」を奪ったものの正体。それは
恐怖。です。
これに気がついてから、自由を奪うものの正体は「恐れ」であると気づくことができ
「自由」の反対は「恐れ」である。
「自由」とは「恐れのない状態」である。
と言う一つの解に辿り着きました。
自由になるための唯一の方法
「自由」とは「恐れの無い状態」だとすると
自由になるための方法は簡単です。
自由になるための唯一の方法。それは
恐れるのをやめる
それだけです。
「そんなの無理だよー!!!」
とか
「世の中恐ろしいことばかりなのに恐れを止めることなんてできるわけない!!!」
と言う声がたくさん聞こえてきます。
そうですよね。無理ですよね。
そもそも、自由になることが絶対良いと言うわけでもないですからね。
「僕の人生ずっと自由だった」
とか
「ついに僕は自由を手に入れた」
と心の底から思って死んでいく人なんてほとんどいませんし
恐れを感じながら一生暮らしていくのが普通ですからね。
ところが僕はこう考えました。
「もし恐れをやめることができて自由になるのなら試してみる価値がある」
そもそも「恐れる」って、誰かではなく僕の問題であって、
どんなに周りから恐怖を与えられようとも「恐れる」か「恐れないか」は自分で決められる。
そう。
「恐れ」は自分が「感じる」ものだから、感じるかどうかは自分で決められるしコントロールできる。
だったら実験してみよう。
そう思って僕は手始めに「恐れ」について研究してみることにしました。
今回の世界の法則
今回気がついた世界の法則は
自由=恐れの無い状態
そして仮説として
恐れは自分で無くすことができる=自ら自由を手に入れることができる=自由は自分次第
という図式が見えてきました。
どうでしょう?今まで自由になりたいと思った時のことを思い出すと、結局それらは勝手な自分が作り上げた「恐れ」が原因では無いでしょうか?
もしこれから「〇〇から自由になりたい!」と思った時のことを思い出してみてください。
例えば「学校から自由になりたい!」でしたら「学校に行かなければいけない」という考えの裏に「通学して卒業しないといけない」という親や世間等からのプレッシャーを感じているのではないでしょうか?
それが「恐れ」です。
恐れるのをやめたとしたら「学校に行くのも行かないのもあなたの自由だった」ということに気がつくでしょう。
ぜひ、自由になるために自分の「恐れ」に気がつき「これって妄想なのでは?」と考えてみてください。
あなたが本当は自分はいつだって自由だったということに気がつき
幸せでいられますように祈っております。
合掌🙏